本能寺の変で安土城を焼いた真犯人は?明智光秀の娘婿・明智秀満が無実と主張する根拠を紹介 (3/5ページ)

Japaaan

落ち武者狩りに命を落とした明智光秀(左奥)。月岡芳「月百姿 山城小栗栖月」

そのどさくさで、秀満が「敵の手に返してなるものか」とばかり安土城に火を放った……と、大村由己『秀吉事記』や小瀬甫庵『甫庵太閤記』に言及されていますが、秀満が本当にそんな暴挙に及んだのでしょうか。

……と言うのも、秀満は坂本城で自害する6月14日、保有していた銘刀(国行の太刀、吉光の脇差)や虚堂智愚(きどうちぐ。宋代の禅僧)の墨蹟など数々の名宝が失われてしまうことを惜しんで、目録を添えて寄せ手(攻城軍)に差し出したほどの文化人。

信長の本拠地であればもっと多くの財宝が眠っていたでしょうし、それを行きがけの駄賃とばかり火を放つような軽挙妄動に及ぶとは考えられません。

また、秀満が光秀の死を知ったのが6月13日深夜として、14日の内には坂本城まで撤退して戦い、自害していますから、とても安土城を焼き払う時間的余裕はなかった筈です。

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