死の受容を考えれば遺族本位の葬儀も悪くないし故人もそれを尊重しても良い (2/2ページ)

心に残る家族葬

これまで何をやっても回避することも遠のけることもできなかった自らの死を、「いずれは誰もが迎える自然な瞬間」として受け入れ、自らの人生の終わりを穏やかに受容する段階だ。

このようなロスの「死の受容過程」にみる5段階は、主として死に直面した当人の感情を分析したものだが、今日では、大切な人を亡くした人々、つまり遺族や、故人となじみが深い知人についても同様のプロセスが見られると言われている。

■遺族にも訪れる死の受容過程

大切な人の死の第一報を聞いた時の「そんなはずはない」「まさかあの人が」といった「否認」の感情、故人の死を認識したときの「なぜこの人が亡くならなければならなかったのだ」といった「怒りの感情」、これは不意の事故や自然災害によって大切な人を突然失った方は特に強く抱く傾向があろう。

そこから「なんでもするからあの人を返してほしい」といった「取引」から、「もうあの人は帰ってこない」という「抑うつ」を経て、ようやく大切な人の死を受け入れ、故人のいない新たな生活へと歩みを向けるのだ。

■あらゆる感情は受容までのプロセスだと思えば良い

そのため、大切な人を失ったときには、「悲しんだり、絶望したりしている自分のことを素直に受け入れてあげる」ということが重要だ。「今の私の悲しみや絶望、否定の感情はごく自然のものなのだ」と言い聞かせてあげることが、大切な人の死を受容し、新たな生活へ心を向ける上で大切なのだ。

■受容までに必要であるならば盛大な葬儀をしたっていい

そして、故人の葬儀の際には、絢爛豪華な祭壇、集まった故人の生前の友人や知人、華やかに飾られた故人のご遺体を見て、「この人は天寿を全うしたのだ」「だからこうして大勢の人に見守られて、華やかに旅立っていくのだ」と考えてみるとよい。

遺された人々にとって葬儀とは、そうした気持ちを整理する大切な場なのだ。ロスの理論に戻ってみれば、多くの人が「否認と孤独」や「怒り」、「取引」、「抑うつ」といった段階にある中で葬儀が行われるということは、そうした感情を抱いている人々を悲しみや絶望、怒りから解放し、「受容」へと導くきっかけになる。葬儀にはそういった力がある。

「私の葬儀は簡素に、火葬するだけでよい」と子に言い聞かせる人もいると思うが、子どもたち自身に気持ちを整理する時間を与えるつもりで、「どうぞ盛大におやりなさい」と言ってもよいのではないか。

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