戦国「10大奇襲」秘聞(2)北条氏康が河越で「こんな夜中に戦かよ!」 (1/2ページ)

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北条氏康
北条氏康

 相手が何の準備も心構えもなく無防備な状態を狙い、一気に攻め落とす。「まさか、こんな時に‥‥」と虚を突かれた側はどう抵抗したのか。

「『河越夜戦(かわごえよいくさ)』は、こうです。初代の北条早雲が伊豆、相模を手に入れて、その二代目の氏綱(うじつな)が武蔵国に勢力を伸ばしていました。もともと関東管領(かんれい)家だった山内上杉家は同じ一族の扇谷(おうぎがやつ)上杉氏と駿河(するが)の今川義元、さらに関東の権威だった古河公方(こがくぼう)を味方につけて、今川義元には駿河の北条方の長窪城を攻めてもらい、両上杉・古河は総勢8万もの連合軍でもって、北条の北関東の拠点・河越城を取り囲んだのです。北条氏の三代目の氏康(うじやす)は、長窪城を取り囲んでいた今川と和睦して、河越の援軍に駈けつけますが、まずは本格的な戦いを避けて『河越城は差し上げるから、城の兵隊だけは助けてほしい』という申し入れをして、そのうえ敵の陣に遊女や商人を送って連日宴会をするようにしむけ、上杉連合軍を油断させます。氏康はこのタイミングで一気に夜襲をかけ勝利します」(河合氏)

 まさに「こんな夜中に戦かよ!」の心境だったろう。ただ、信頼できる当時の史料が一切残っていないため、夜襲だったかどうかは、実は議論があるという。

 一方で房野氏は、

「ひと言で言えば北条氏康って三代目が10倍以上の敵をぶっ倒したっていう戦いですが、二代目の氏綱が河越を拠点に武蔵国を支配して、周りにめちゃくちゃ敵を作ったところで亡くなってバトンタッチ。きっと氏康は『親父、こんなにしちゃってから死ぬなよ!』って言ったと思います(笑)。敵に囲まれた河越城にさっそうと駆けつける氏康、カッコいいんですよ。今、上司にしたい武将アンケートをとると、1位に氏康が入るくらい人気で、僕も好きです」

 戦国の好敵手、甲斐(山梨)の武田信玄と越後(新潟)の上杉謙信(長尾景虎)が12年もの間、5度にわたって戦いを繰り返した川中島の戦い。最も有名なのが、第4次合戦だ。

 河合氏が解説する。

「謙信は1万8000の軍勢を率いて春日山城を出発し、途中の善光寺平に5000の兵を置き、残りの1万3000の軍勢で千曲川、犀川を渡って妻女山(さいじょさん)に本陣を置きます。

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