一体どういう事情?死んでから藩主になった幕末の苦労人・吉川経幹の生涯をたどる【完】 (2/4ページ)
死闘の末、防衛に成功)

「やれやれ……」心労の絶えない四年間を振り返る経幹(イメージ)。
こうして振り返ってみると、この四年間というもの長州藩にとっては国難に次ぐ国難のオンパレード。一国の命運がかかったプレッシャーを一身に受けて、経幹がここまで切り抜けて来られたのは奇跡的と言えるでしょう。
そして年も明けた慶応三1867年3月20日。過労の病床にあった経幹は39歳の生涯に幕を閉じたのでした。
死後、吉川家の悲願である岩国藩の初代藩主にしかし、強力な交渉役(ネゴシエイター)として幕府からも一目置かれていた経幹が死んだと知られたら、その後(朝敵赦免)の交渉に支障が出るかも知れない……そう懸念した長州藩は経幹の死を隠すことに。
13歳になっていた長男・芳之助(よしのすけ)を元服させて吉川経健(きっかわ つねたけ)と改名。父の名代として幕府との交渉に臨みます。