一体どういう事情?死んでから藩主になった幕末の苦労人・吉川経幹の生涯をたどる【完】 (1/4ページ)
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一体どういう事情?死んでから藩主になった幕末の苦労人・吉川経幹の生涯をたどる【三】時は幕末、禁門の変によって「朝敵」となってしまった長州藩は、全国諸藩を動員した幕府軍によって東西南北から攻め込まれる「四境戦争(第二次長州征伐。慶応二1866年6月7日~9月2日)」に突入します。
幕府軍10万人に対して3~4千人という絶望的な戦力差を乗り越えて奇跡的な勝利を収めた長州藩ですが、その柱石として主君を支え続けた岩国領主・吉川経幹(きっかわ つねまさ。当時38歳)は、それまでの激務がたたって倒れてしまいました。
国難に次ぐ国難のオンパレード……39歳の生涯に幕を閉じる【文久三1863年】
5~6月 下関事件(欧米列強への武力行使)
8月 文久の政変(京都で長州勢力の政治的排除)
【元治元1864年】
7月 禁門の変(クーデター失敗、朝敵に)
8月 馬関戦争(欧米列強との武力衝突⇒戦後の和平交渉)
7~12月 第一次長州征伐(戦争回避に奔走)
【元治二⇒慶応元1865年】
1~12月 幕府との交渉(戦争回避に奔走)
【慶応二1866年】
6~9月 四境戦争(第二次長州征伐。
