元日本地理学会会長 奥野隆史の遺作「筑豊炭田地誌考」に記されたある夢 (3/5ページ)

心に残る家族葬

昭和19年、去年の正月には、

“先生、来年も会えますね”

“勿論だよ”

といってくれた人はどこにもいなかった。涙が滴り落ちた。

克平は定年を迎えて退職になった。退職金を持って無性に小峠に行きたくなった。腰を下す〔=下ろす〕と、正面は自分が務めていた炭鉱〔明治鉱業赤池炭鉱のことか〕の大煙突が真っ二つに折れている。右を見ると石灰石にまみれた香春山〔香春岳、かわらだけのこと〕第一峰〔一の岳のこと〕が見えた。

“おれが若かったら、伊吹信介〔筑豊炭田を舞台とした五木寛之の小説『青春の門』(1970年)の主人公〕のようにオートバイぶっ飛ばして東京へ行くんだがな”

“ところで、おれはどこで生れた〔生まれた〕んだ”

彼の生まれた所は奇しくも小峠の右下にある林ケ谷〔りんがだに、現・福岡県田川郡福智町〕というかつて狸掘り〔主に江戸時代並びに明治初期に行われていた、人力かつ、無秩序な石炭採掘〕が行われた所であった。

 

■奥野隆史は論文を仕上げるために忙しい中、福岡に通い続けた

奥野の追悼文を記した地理学者の村山祐司によると、奥野はこの論文を仕上げるために、群馬県にある上武大学に勤める多忙な日々を縫って、フィールドワークと文献収集のために、何度も福岡に足を運んだという。今現在における科学的根拠はないが、奥野のそうした熱心さゆえに、15世紀半ば過ぎから、1976(昭和51)年の貝島大之浦炭鉱の閉山に至るまで、実に多くの人々の血と汗と涙や喜怒哀楽をもって稼働していた筑豊炭田という「場所」に宿る地霊(ちれい、genius loci)が奥野に宿り、その栄枯盛衰を、死期が近くなっていた奥野の夢の中で「克平」の姿をもって、現したのではないか。

■末期医療ロボットが快適な死の提供をしてくれるかもしれない

1982年に台湾で生まれ、現在はアメリカ・サンフランシスコを拠点として活動している現代アーティストでITエンジニアであるダン・K・チェンは、人間と機械が親密な関係を築くことができるか、をテーマに、『末期医療ロボット』(2018年)を制作した。

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