歴代総理の胆力「鈴木善幸」(2)コペルニクス的“転身”で… (1/2ページ)

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歴代総理の胆力「鈴木善幸」(2)コペルニクス的“転身”で…

 鈴木の経歴は、おもしろい。岩手県立水産学校(現・県立宮古(みやこ)水産高校)では弁論部に属し、一方で漁業協同組合組織とその活動ぶりに疑念を持ち、ここで改革の必要性に目覚めた。卒業時は、優等生であった。

 水産高校卒業後は農林省の水産講習所に入り、ここで「漁協運動家」となるべくハラを固めた。その後、前述したように昭和22年の総選挙に、地元漁協をバックに社会党から出馬、初当選を飾った。

 しかし、当時の社会党は左右両派に分かれての主導権争いが活発化、鈴木はこれにイヤ気がさし、なんと日経ずして吉田茂率いる民主自由党に転じたのである。2回目の24年1月の選挙では、「革新」から「保守」というコペルニクス的“転身”での出馬だったが、時に漁協も政権がバックが得策ということで、当選を果たすことができたのだった。

 やがての29年、吉田自由党のときの幹事長・池田勇人が立ち上げた派閥「宏池会」に入った。このあたりで、田中角栄との関係密が始まったということだった。その後、「宏池会」トップが池田、前尾繁三郎、大平正芳と代替わりする中で、決してトップの座を目指さず、しかし派内はもとより党内の地歩を確実に築いてきたということだった。

 その鈴木のリーダーシップ、「胆力」の本領は、都合10期と異例中の異例の長さを務めた自民党総務会長ポストが明らかにしている。

 総務会長とは、幹事長、政調会長ともどもで形成する党三役の一角だが、党の政策決定はこの総務会の賛成を得なければならない。しかし、党内には賛成派、反対派が入り交じることで、意思集約を担う総務会長としては「調整役」としての能力が強く問われるのである。なぜ、10期の長きを鈴木が務め得たのか。鈴木が政権を下りたあと、鈴木派幹部がこのあたりの“秘訣”をこう明かしてくれたものだった。

「抜群のバランス感覚、状況判断の的確さ、党内の隅々まで議員の事情に精通している。そのうえで、反対議員には粘りに粘って説得する。そして最後に鈴木が『まぁまぁ、この辺で取りまとめたい』とやると、結局まとまってしまうのだった。鈴木総務会長当時には、『まぁまぁのゼンコー』との異名もあった」

「脇役の達人」として、出色の人と言ってよかった。

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