ラスボス感ハンパない!色んな意味で強かった?毛利元就の愛娘・五龍姫の生涯 (2/5ページ)

Japaaan

「毛利家御座図」より、しんの夫・宍戸隆家の肖像。

とは言え、いつかはお嫁に出してやらねば……という事で、長女の悲劇を繰り返さぬよう、領土が隣接している宍戸(ししど)氏の嫡男・宍戸弥三郎隆家(やさぶろうたかいえ)に嫁がせて代々の抗争関係を和解、同盟関係を築きます。

時に天文六1534年、五龍姫はまだ6歳、宍戸隆家も17歳。初々しいと言うより「妹のおままごとにつき合ってあげる兄」みたいな歳の差夫婦でした。

かくして宍戸氏の本拠地・五龍城(現:広島県安芸高田市)の方へ嫁いだ事で、姫は「五龍の方」「五龍の局」と呼ばれるようになり、元就など親しい者は「五もじ(文字)」などとも呼んだそうです。

龍のように激しかった?一族の繁栄に貢献するも……

さて、五龍姫と宍戸隆家との夫婦仲は良好だったようで、二人の間には一男三女が生まれました。

まず長男の弥三郎元秀(もとひで。弥三郎は代々襲名)は宍戸家の跡取りとして確保、長女は伊予水軍の棟梁・河野通宣(こうの みちのぶ)に嫁がせることで瀬戸内海に勢力基盤を作り、次女は毛利家を支える吉川元長(きっかわ もとなが。

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