むっちゃカッコいい苗字!明智光秀の家臣・四王天政孝&政実兄弟の武勇伝【下】 (2/4ページ)

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奮闘する政孝の雄姿。落合芳幾「太平記英勇伝 四王天但馬守政孝」慶応三1867年

そして宿敵・波多野秀治の本拠地である八上城(現:兵庫県丹波篠山市)に攻め込んだ時は、弟・政実が秀治と取っ組み合っているところを、兄・政孝が捕らえるという連携プレーで大殊勲を上げます。

最後の仕上げとして赤井一族の本拠地である黒井城(現:兵庫県丹波市)を攻略したことで、晴れて光秀は丹波平定を果たしたのでした。

その武功によって政孝は但馬守(現:兵庫県北部の国司)の官途(かんど。官位の私称)を許されると共に、福知山城(現:京都府福知山市)の城代として1万石の知行を与えられたのでした。

本能寺の変、三日天下、その後……

そして、明智光秀を語る上で外すことのできない信長へのクーデター「本能寺の変(天正十1582年6月2日)」に際しては、四王天兄弟が二手に分かれて兄・政孝は信長の嫡男・織田信忠(のぶただ)らの守る二条城(現:京都府京都市)の攻略を担当。

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