むっちゃカッコいい苗字!明智光秀の家臣・四王天政孝&政実兄弟の武勇伝【下】 (4/4ページ)

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「兄者、面目次第もございませぬ……!」

落ち武者狩りによって命を落とした明智光秀。

光秀が落武者狩りによって殺された報せを聞き、政実は名を変えて旧知の青木紀伊守秀以(あおき きいのかみひでもち)に仕官し、秀以の転封に従って越前国(現:福井県)へ移住します。

かつて一向一揆との戦いで兄と共に攻め込んだ越前に舞い戻って来た政実は、やがて秀以が病死すると浪人になったものの、新たに越前へ赴任してきた結城秀康(ゆうき ひでやす。徳川家康の次男)に再び仕官します。

以降はこれと言った活躍も見られず、大坂の陣(慶長二十1615年)では国元の留守居役を命じられます。代わりに出陣した嫡男・四王天孝信(たかのぶ)は大いに武功を上げ、江戸時代に入ると福井藩士として越前松平家に仕え、その血脈を後世に受け継いでいくのでした。

【完】

※参考文献:
松井拳堂『丹波人物志』臨川書店、1987年
高柳光寿『人物叢書 明智光秀』吉川弘文館、1986年
二木謙一 編『明智光秀のすべて』新人物往来社、1994年

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