歴代総理の胆力「竹下登」(1)角栄はなぜ総裁候補に竹下を挙げなかったのか? (2/2ページ)
その間、総裁候補がなかなか出せない中で田中派内には不満が充満、竹下の「盟友」金丸信による「世代交代論」のブチ上げ、あるいは派内の中堅・若手が率先動いての、竹下を中心とした“派中派”の「創政会」結成への動きも出たものだった。「オレを派閥から放逐(ほうちく)するつもりか」とばかり、田中はこう言ったのだった。
「竹下は雑巾がけからやり直しだッ」
しかし、その田中が中曽根(康弘)政権時の昭和60(1985)年2月、脳梗塞で倒れ、事実上の再起不能となった。竹下はここで事を急がず、中曽根政権を支える形で「ポスト中曽根」に照準を定めたのであった。
中曽根は自らの退陣にあたり、当時、後継有力候補と見られていたそれぞれ派閥領袖だった竹下、宮沢喜一、安倍晋太郎(安倍晋三総理の父)から白紙委任を受け、結果、竹下を後継総裁に指名した。時に竹下は党内最大派閥・竹下派の領袖であり、竹下は自民党のみならず、野党の一部への影響力を保持していたことから、中曽根としては竹下の“支配力”に乗ることで、退陣後の存在感、発言力を維持しようとしての「中曽根裁定」と言えたのだった。
■竹下登の略歴
大正13(1924)年2月16日、島根県生まれ。学徒動員により陸軍飛行隊員として入隊。早稲田大学商学部に復学。昭和33(1958)年、衆議院議員初当選。昭和62(1987)年11月、内閣組織。総理就任時63歳。平成12(2000)年6月19日、76歳で死去。
総理大臣歴:第74代 1987年11月6日~1989年6月3日
小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。