歴代総理の胆力「竹下登」(1)角栄はなぜ総裁候補に竹下を挙げなかったのか? (1/2ページ)

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歴代総理の胆力「竹下登」(1)角栄はなぜ総裁候補に竹下を挙げなかったのか?

「苦節10年」という俚諺(りげん)があるが、この竹下登は天下を取るのに、じつに23年の歳月をかけたのだった。のちに触れる竹下の極め付きの“辛抱強さ”が、改めて知れるのである。

 竹下の「政治の師」は、国政入り後、初めてワラジを脱いだ佐藤派の領袖、佐藤栄作である。その佐藤が総理大臣になり、竹下を官房副長官に起用したとき、竹下は戦時中に流行した「ズンドコ節」をもじって、宴席などではこんなザレ唄を披露していたものだ。

♪講和の調印 吉田(茂)で暮れて 日ソ協定 鳩山(一郎)さん いまじゃ佐藤(栄作)で 沖縄返還 10年経ったら 竹下さん ズンドコ ズンドコ

 つまり、この頃は10年後の天下取りを夢見ていたということだが、田中角栄が同じ佐藤派の幹部として台頭する中で、天下取りへの歩調は大きく狂うのだった。

 佐藤栄作は悲願の「沖縄返還」を成し遂げ、7年8カ月の長期政権にピリオドを打ったその後継は、佐藤派の大勢を引き継いだ田中角栄がなった。その当時、自民党内では「田中が退陣したあとは、竹下が田中派の総裁候補になるのではないか」という声も、早や挙がっていたのである。

 ところが、田中は竹下を終始、煙たがった。各所で「田中派には二階堂進、江崎真澄、後藤田正晴という総裁候補がいる」と公言してやまず、そうした中に竹下の名前が出ることはなかったのだった。

 なぜ、田中は竹下を自らのあとを任せる総裁候補として挙げなかったのか。これについて、田中派のベテラン議員の一人がこう言っていたことがある。

「田中は、竹下の政治的能力は認めていた。ここでは、自らのそれと比べての“近親憎悪”があったということになる。

 その一方で、他に挙げた総裁候補に比べ、天下を取ったあとはどこまで自分と歩並(あしなみ)を揃えた政権運営をするかへの不信感もあった。自分が育てた田中派を崩してしまう危惧をみていたということだった。

 田中の中では、竹下を認めることは大きなバクチになるとの思いが強かった」

 その後、田中は金脈・女性問題で退陣、ロッキード事件での逮捕も余儀なくされた。

「歴代総理の胆力「竹下登」(1)角栄はなぜ総裁候補に竹下を挙げなかったのか?」のページです。デイリーニュースオンラインは、週刊アサヒ芸能 2020年 4/16号内閣総理大臣小林吉弥竹下登田中角栄社会などの最新ニュースを毎日配信しています。
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