江戸時代にも活躍していた!武田信玄の軍師・山本勘助の伝説を受け継いだ子孫たち【下】 (2/5ページ)

Japaaan

大本命であった水戸藩への仕官が絶望的となると、期待が大きかった分だけ落差も激しく、「もうダメだぁ~……」と今度こそ諦めていた寛永十1633年、甲府城に在番していた伊丹播磨守康勝(いたみ はりまのかみやすかつ)から手紙が届きます。

「よぅ三郎。もしブラブラしているんだったら、ウチで養ってやらんでもないぞ?(意訳)」

康勝はもともと駿河の海賊衆で、武田家の滅亡後は徳川家康へ取り入って巧みに出世し、やがて本田正純(ほんだ まさずみ)ら政敵を追い落として幕府の財政分野で大きな影響力を持っていました。

再び巡った仕官のチャンス!……嬉しくないと言えば嘘になりますが、三郎右衛門はどこか引っかかるものを感じます。

「うーん……千載一遇のチャンスではあるが、播磨守殿に運命を託して大丈夫だろうか……?」

辣腕で知られた康勝は、その功績と同時に敵も多く、人格にも難があるようで、いっときは時流に乗って仕官できたとしても、その勢いがいつまで続くか不安が残ります。

運不運は重なるもので、悩んでいる三郎右衛門のところへ、やはり武田遺臣の日向半兵衛正之(ひなた はんべゑまさゆき。後に政成)が声をかけて来ました。

「我が主君・信濃守様がそなたの噂を聞いて、是非とも会いたいとの仰せじゃ」

信濃守とは永井信濃守尚政(ながい しなののかみなおまさ)の事で、下総国古河藩(現:茨城県古河市)から山城国の淀藩(現:京都府京都市)に転封が決まり、是非とも家臣に連れて行きたいという話でした。

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