江戸時代にも活躍していた!武田信玄の軍師・山本勘助の伝説を受け継いだ子孫たち【下】 (3/5ページ)
「信濃守様は甲州流軍学に造詣が深く、山本菅助の孫であるそなたにも教えを乞いたいとの事じゃ」
三郎右衛門は考えました。どちらも相応の権勢はあるものの、人格に問題がある上、ぞんざいに扱われそうな康勝に比べて、「是非とも会いたい」「教えを乞いたい」という誠実な人柄の尚政だったら、後者がいいに決まっています。
「よし、相分かった。この微力を信濃守様のためにお尽くし申すとお伝え下され」
かくして三郎右衛門は晴れて尚政に仕官を果たし、足軽20人と知行300石という好待遇で迎えられたそうです。
「兄上、そしてご先祖さまがた……遂に、遂に悲願を果たしましたぞ!」
山本家の名誉を回復した三郎右衛門は、晴れて三代目「山本菅助」を襲名。めでたしめでたし……ちなみに、三郎右衛門を召し抱え損ねた康勝は、専横の振る舞いが過ぎたため三代将軍・徳川家光(とくがわ いえみつ)によって失脚させられてしまったそうです。