江戸時代にも活躍していた!武田信玄の軍師・山本勘助の伝説を受け継いだ子孫たち【下】 (5/5ページ)
主君・松平右京亮輝貞(まつだいら うきょうのすけてるさだ)の命を受けて転封先の壬生城(現:栃木県下都賀郡壬生町)の改修を担当、父祖伝来の「山本勘助流(※)城取術」を採り入れました。
(※)実在の菅助と伝説上の勘助が混在する中、後者の方がウケも良かったのか、よくこちらの「勘助」表記がブランディングに使われていたようです。
以後、山本家は松平藩における城取(城の構築と防衛)を司る家門として位置づけられていったそうで、それからも高崎藩(元禄八1695年~現:群馬県高崎市)、越後村上藩(宝永七1710年~現:新潟県村上市)、再び高崎藩(享保二1717年~)と転封を繰り返す中、幕末まで仕え続けたそうです。
現代もこれらの地には松平藩の名残を見ることが出来るので、もしかしたら城の遺構に勘助流兵法の名残を発見できるかも知れません。
【完】
※参考文献:
海老沼真治編『山本菅助の実像を探る』戎光祥出版、2013年
丸島和洋編『武田氏家臣団人名辞典』東京堂出版、2015年
笹本正治『軍師山本勘助―語られた英雄像』新人物往来社、2007年
山梨県立博物館編『実在した山本菅助』山梨県立博物館、2010年
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