実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【三】 (4/5ページ)
【壬生浪士組・役職図】
局長:芹沢鴨、近藤勇、新見錦
副長:平間重助、土方歳三、山南敬助
副長助勤:平山五郎、野口健司、沖田総司、永倉新八、斎藤一、井上源三郎、藤堂平助、原田左之助……
※芹沢を除き順不同。諸説あり
「……よそでやっておくんなはれ」
浪士組の上洛以来、芹沢・近藤たちに自宅を間借りさせ(られ)ていた壬生村の郷士・八木源之丞応迅(やぎ げんのじょうまさはや)は、ご近所さんから「身ぼろ組(身なりの貧しい、野蛮な関東の連中)」などと陰口を叩かれて、うんざりしていました。
わざわざ関東くんだりからやって来て、何をするでもなくぶらぶら暮らして金銭食糧を強請(ゆす)りたかり、内輪もめばかりしている自称「勤皇報国の志士」集団……さぞや迷惑だったことでしょう。
会津藩お預かりで「身ぼろ組」を卒業そう思われていたことは身ぼr……もとい壬生浪士組の面々も承知していたようで、志だけで京都に残ってみたはいいけれど、資金源もないままでは単なる破落戸(ゴロツキ)集団で終わってしまいます。
「おぃ新見さん、どうすンだよ」
市中見回りと称して京都の街をぶらついてはチンピラに喧嘩を売ったり、商家に押しかけては用心棒代をせびったりする生活に飽きてきた五郎が、新見錦に詰め寄ります。
去る3月に将軍・徳川家茂(とくがわ いえもち)が上洛した際、その警護の名目で来た(壬生浪士組として居残った)にも関わらず、幕府の役人からまるで相手にして貰えなかったこともあって、京都に居続ける理由を見いだせなくなっていたのです。
「……まぁ焦るな平山君。