歴代総理の胆力「竹下登」(3)「政界のおしん」の異名 (1/2ページ)

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歴代総理の胆力「竹下登」(3)「政界のおしん」の異名

 “苦節23年”ついに政権に就いた竹下登の政治手法は、強引さとはまったく無縁の辛抱に辛抱、周囲を説得に次ぐ説得で、ついには「落とす所に落とす」というものだった。「政界のおしん」「調整名人」との異名があったゆえんである。

 それを実証してみせたのは、それまでの数代の政権が模索したものの、世論の反発から成就できなかった「消費税」導入という大仕事を成し遂げたことであった。

 竹下政権からさかのぼること8年前、竹下はすでに政権を取ったら是非、財政再建のために消費税導入を自分の手でとハラを固めていたのだった。落とす所に落としてみせる、との執念ということであった。

 それまでの消費税を巡る経緯は次のようなものであった。

 昭和54(1979)年11月、時の大平正芳首相は、その第2次内閣で竹下を大蔵大臣に起用、間接税としての新税「一般消費税」導入を策した。案の定と言うべきか、これには世論の批判の一方で、野党はもとより自民党内にも反対論が少なくなかった。とりわけ、野党は「一般消費税廃止」の国会決議の動きまで示したのだった。国会決議がされてしまえば、この間接税導入の芽は完全につまれてしまう。

 ここで、「説得しつつ推進する」という竹下流が出た。自民党内はもとより、野党人脈を駆使して根回し、「一般消費税廃止決議」の文言を「財政再建決議」と替えさせ、この決議を通すことで、逆に間接税導入を“延命”させることに成功したということだった。

 しかし、大平内閣は大平の急死ということで、鈴木内閣に引き継がれ、ここで竹下は蔵相ポストをはずれた。一方、鈴木首相は指導力不足もあって、この間接税導入には動けず、次の中曽根(康弘)で改めて再浮上したものだった。

 竹下はこの中曽根内閣で連続4期の蔵相を務めることになったのだが、中曽根ともどもこの間接税を「売上税」と名を変え、導入議論を復活させたのである。

 一方、この過程では、竹下の「したたかさ」も垣間見られた。中曽根内閣で導入へ向けての議論はするものの、その実現への目線は自らが政権を取ったときと定めていたのだった。このことは、消費税導入という“勲章”は自らが総理になったときに付けるという、強い自負ということであった。

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