歴代総理の胆力「竹下登」(3)「政界のおしん」の異名 (2/2ページ)

アサ芸プラス

 中曽根内閣での竹下首相のリーダーシップについて、田中(角栄)派から竹下派を通じて、長く「竹下手法」を見てきた渡部恒三(元衆院副議長)の、次のような解説が残っている。

「竹下さんの調整力は、これは並ではなかったな。与野党問わず、根回し、気配り、辛抱といったことをフル回転、常に頭を下げて歩いていたね。一方で、粘り強さ、手堅さ、度胸も余人近寄れずの凄さがあった。ノラリクラリの独特の『言語明瞭、意味不明瞭』の弁も、あとで国会の速記録を読んでみると、ピシリとしていて“落とし所”を譲っていない。野党にも適当に点数を稼がせながら、押さえるところはキチンと押さえているということです。

 すなわち、野球の投手で言うと、剛速球は投げずのチェンジ・オブ・ペースの軟投型、打たせて取るというヤツだ。それも、ゴロを打たせては内野手に活躍の場を持たせ、フライを打たせては外野手にも働く余地を与えるという“全員野球”だから、どこからも文句が出ない形になっている。さらに、相手の野党に対しても三振させて恥をかかせることはしない。ポテン・ヒットくらいは打たせることで、メンツは保たせるから凄いのだ。

 竹下さんのリーダーシップは、『漢方薬』との声もあった。あとで、ジワジワと効いてきて、リーダーシップを感じさせないリーダーシップということから来ていた」

■竹下登の略歴

大正13(1924)年2月16日、島根県生まれ。学徒動員により陸軍飛行隊員として入隊。早稲田大学商学部に復学。昭和33(1958)年、衆議院議員初当選。昭和62(1987)年11月、内閣組織。総理就任時63歳。平成12(2000)年6月19日、76歳で死去。

総理大臣歴:第74代 1987年11月6日~1989年6月3日

小林吉弥(こばやし・きちや)政治評論家。昭和16年(1941)8月26日、東京都生まれ。永田町取材歴50年を通じて抜群の確度を誇る政局分析や選挙分析には定評がある。田中角栄人物研究の第一人者で、著書多数。

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