映画やドラマで取り上げられる「吉原炎上」吉原遊郭の歴史は火災の歴史でもある (2/3ページ)
「新吉原」へ移転後も、吉原は何度も火災に見舞われました。その回数は、1866(慶応2)年までの191年間でなんと22回!まさに「火災とともに歩んだ歴史」だったのです。
1866(慶応2)年の大火の被害は吉原が全焼するほどとなり、これ以後吉原遊郭は衰退に向かっていきます。吉原の歴史の終わりは「売春防止法」が施行された1957(昭和32)年でしたが、その頃には既に全盛期の栄華は失われていました。
吉原を何度も襲った火災の原因は、遊女への待遇のひどさ?火事が多かった江戸とはいえ、ここまで吉原が何度も火災の被害に見舞われた原因は、いったい何だったのでしょうか?
1855(安政2)年に関東地方南部を襲った「安政江戸地震(安政の大地震)」による出火など、天災によるものももちろんありました。しかし「梅本屋事件」のように、楼主の虐待に怒った遊女たちによる放火も決して少なくはありませんでした。
この事件は、梅本屋の遊女が楼主からの折檻により死亡し、他の16名の遊女たちが店に放火した上で番所に自首し、楼主の日頃の虐待を訴えたものです。
