徳川家康の外交顧問は“青い目の侍”! W・アダムス「三浦按針の生涯」 (3/3ページ)

日刊大衆

 こうして按針は一六一三年、イギリスの商館を平戸に開設させただけでなく、その数年前にはオランダ商館の開設にも力を尽くした。

 ただし、通説によれば、按針がオランダの使節を駿府で大御所の家康(当時、将軍職を秀忠に譲っていた)に引き合わせたとされるが、彼は当時、ここにいなかった。

 とはいえ、按針が事実上、鎖国状態だった日本で、唯一、西洋の窓口となるオランダ貿易の礎を築いた人物である事実に変わりはない。

 さらに、彼はスペイン語にも精通し、旧教国であるスペインに対し、家康の外交顧問として役割を果たした。スペインは当時、メキシコやペルーなどでアマルガム法によって鉱山から金銀を回収し、より効率的に採掘する方法を模索した家康が、新たな技術を導入しようと貿易を望んだといわれる。実際に按針は一時、スペイン商船の入港が途絶えた際、マニラに渡り、スペインのフィリピン総督と交渉している。

 こうして日本とヨーロッパ諸国の国交に大きな役割を果たした彼は五七歳で、家康が没した四年後の一六二〇年、平戸で他界。三五歳でイギリスを離れて以来、一度も故国の土を踏むことなく、サムライの三浦按針として日本で生涯を閉じた。

跡部蛮(あとべ・ばん)1960年、大阪府生まれ。歴史作家、歴史研究家。佛教大学大学院博士後期課程修了。戦国時代を中心に日本史の幅広い時代をテーマに著述活動、講演活動を行う。主な著作に『信長は光秀に「本能寺で家康を討て!」と命じていた』『信長、秀吉、家康「捏造された歴史」』『明智光秀は二人いた!』(いずれも双葉社)などがある。

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