実は心眼の使い手だった!?新選組の独眼竜「平山五郎」の生涯【五】 (6/6ページ)

Japaaan

「我らは会津藩お預かり、壬生浪士組……通しな」

悠然と御所へ入る芹沢(イメージ)。

悠然と現れた芹沢鴨は、鉄扇一つでビッシリと突きつけられた槍を払い退け、ゆっくりと進んで行きました。常人であればすぐに槍衾(やりぶすま)でしょうが、ここに芹沢のカリスマ性が窺われます。

「おぉ……やっぱり芹沢先生は只者じゃねぇ……野郎ども、先生に続け!」

「「「おう!」」」

意気揚々と新見錦、平間重助、平山五郎ら水戸派が続き、その後から試衛館派が追従。御所に入れた壬生浪士組は、ぶじ配置につくことが出来たそうです(……が、配置が配置だけに、そこまで長州藩が攻めて来ることはなく、手柄は立てられませんでした)。

「恐るべし、芹沢鴨」……禁門の変で存在感を発揮したことから、松平容保は壬生浪士組に「新選組(しんせんぐみ。新撰組)」の名を与えます。

芹沢は言わば「新選組の父」とも言えそうですが、もしかしたら容保が近藤に対して「メンバーを新しく選び直せ(≒芹沢一派を粛清しろ)」というメッセージを送っていたのかも知れません。

【続く】

※参考文献:
永倉新八『新撰組顛末記』新人物往来社、2009年
箱根紀千也『新選組 水府派の史実捜査―芹澤鴨・新見錦・平間重助』ブイツーソリューション、2016年
流泉小史『新選組剣豪秘話』新人物往来社、1973年

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

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