志村けん「若き日の仰天ヤンチャ伝説」 (2/5ページ)
当時のドリフは、すでに大ブームを起こしていたコント55号を追いかけつつ、ポスト・クレージーキャッツとして期待されている存在だったんです」
志村は、55号への弟子入りも考えたが、音楽が好きなこともあり、ドリフに心ひかれたようだ。〈志村は、直談判しようと、いかりや家へ押しかけた。留守だと言われ、家の前で待つことにした。夕方から雪が降り始めて寒い夜だったそうである〉
高校卒業直前の2月だった。志村少年は、震えながら、その家の主の帰りを待った。夜も更け、23時頃にようやく帰ってきたいかりやは、〈ボーヤで苦労してみる気があるのなら〉と少年を受け入れた。“ボーヤ”とは、バンドボーイ兼付き人のような立場だ。
後日、呼び出された志村は、翌日から巡業に出るというドリフのメンバーに紹介された。高校をきちんと卒業してから、ボーヤ修業を始めるつもりだったが……。〈いかりやのカミナリが落ちた。『バカなことを言うな、やる気があるのなら、今日からやれ!』〉
翌日から、巡業に帯同することになった。〈巡業地の公演が終わると、メンバーはその地に宿泊し、翌朝の列車で次の巡業地に向かう。だが、ボーヤたちは公演終了後、メンバーの身の回りの世話を終え、楽器から舞台の道具類まで全部を片付け、それをマイクロバスに詰め込み、その夜のうちに、次の巡業地に先乗りするのだ〉
■『8時だョ!全員集合』放送開始
志村が過酷なボーヤ生活を続けて1年半がたった69年10月から『〜全員集合』が放送開始。ドリフは、いよいよ国民的スターへの階段をのぼることになるが、19歳の志村の気持ちは晴れなかった。〈コメディアンになるために苦労しているはずなのに、そのチャンスも、きっかけもみつからない。師と選んだいかりやも、何も言ってくれない。あせり始めた血気盛んな志村は、ボーヤ仲間を誘ってドリフを離れ、旗揚げしようと考えた〉
なんと、志村は脱走してしまうのだ。〈ところが、コンビで旗揚げするつもりだった仲間のボーヤが、いつまで待っても一向に脱走してこない〉
相棒候補の翻意により、志村はやむなく他の仕事で生活費を稼ぐことに。そんな生活がしばらく続いた。