志村けん「若き日の仰天ヤンチャ伝説」 (3/5ページ)
だが、それでは、なんのために脱走したか分からない。そこで……。〈振り出しに戻るしかないと、志村はふたたびドリフターズのボーヤ生活に戻る決心をした〉
なんとも、肝が据わっているというか、得な性格だというか……。だが、そんな志村とて、いかりやに再び直談判する勇気はなかった。〈相談に乗ってくれそうなのは加藤茶である。神妙な顔つきで加藤の家を訪ねた志村は、いかりやへの仲介を頼み込んだ〉
その場面を想像すると、まるでコントの1シーンのようだが、志村は真剣であり、加藤茶(77)は、ハゲヅラを被っておらず、“ひっきしっ!”とクシャミをすることもなかった。結局、志村は復帰を許され、しかも、東村山(東京の多摩地域)からの通いは大変だからと、加藤宅に、ちゃっかり居候することになった。〈『あんな楽な時代はなかった』と志村は言う。それもそのはずである。生活費は安上がりだし、仕事場は一緒なのだから、加藤についていけばいい。おまけに志村は運転免許を持っていない。(中略)加藤の運転する車に行き帰り乗せてもらうことになる。当代随一の人気者加藤茶を運転手に、その隣に名もないボーヤ志村けんが、ふんぞり返って乗っていた毎日だったのである〉
まるで、バカ殿のような日々ではないか。〈『それだけじゃないんだよ、家へ帰って気がついたら、あいつ俺より先に、風呂へ入っちゃんてるんだよ。まったく、どっちがボーヤだかわかんなかったよ』と加藤は笑う〉
■「マックボンボン」というコンビ名で
やがて志村は、一緒に脱走するはずだったボーヤ・井山淳(75)とコントを作り始めた。すると関係者に認められ、「マックボンボン」というコンビ名で、ドリフの前座などで、舞台に上がるチャンスを得た。前出の西条氏は子ども時代に、その生のステージを観た記憶があるという。「普通、ツッコミは相方を手で張り倒しますが、志村さんは立ったまま足を上げて、足の裏で、ほっぺたを張り倒していたんです。