志村けん「若き日の仰天ヤンチャ伝説」 (4/5ページ)

日刊大衆

ジャイアント馬場の16文キックより、スピードがあるイメージですね。それを、よく覚えています」

 誰もやったことのないネタをやり続け、1年半が経過すると、テレビ出演のチャンスが来た。ところが……。〈いかりやは、烈火のごとく怒った。(中略)ほんの一握りしか持ちネタのないコンビが、テレビでもみくちゃにされたら、あっという間に潰されてしまう〉

 だが、テレビ出演の企画は、すでに断れない段階まで進んでいた。番組名は『ぎんぎら!ボンボン!』(日本テレビ系)。しかし、これは大きくコケた。〈いかりやの猛反対は正しかった。マックボンボンは沈んでいった〉

 低視聴率から、番組は3か月で終了となったのだ。〈このショックでマックボンボンの片棒の井山淳が蒸発してしまった。(中略)志村は、マックボンボンを維持していくために、ドリフターズのボーヤのなかから福田正夫を選び、新しい相棒に据えた〉

 ところが、このコンビはうまくいかず、「マックボン」は消滅。それでも夢を諦めきれなかった志村は、どうしたのか?〈こうなったら、もう1度、ボーヤから始めるしかない。出直す覚悟を決めた志村は、いかりやを訪ねた〉

■荒井注の脱退で正式メンバーになったが

 このとき、『〜全員集合』の高視聴率で不動の人気を獲得していたドリフに、一つの事件が起きていた。荒井注(享年71)が脱退を希望していたのだ。「当時は、カトちゃんの『ちょっとだけよ』とか、荒井さんの『ディス イズ ア ペン』が大人気で、小学生は全員が『〜全員集合』を見ていた。そんな時代に荒井さんが抜けるとなって、『どうなっちゃうんだろう?』と、みんな思っていたんですね」(西条氏)

 そんなタイミングだったことから、いかりやは、志村を見習いメンバーとして『〜全員集合』に出演させることにしたのだ。73年末のことだった。

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