愛の言葉は「殺す」か「死ぬ」か。破壊衝動がスパークするラブソング (1/2ページ)
思い出をフラッシュバックさせるラブソングには、歌詞への共感や陶酔、憧れなど、自分の気持ちの投影先としての機能が必要です。
感情に寄り添う歌詞、思いを具現化したような旋律。アーティストが紡ぐ音と調べに、我々一般ピープルは自分の心の鏡の役割を期待します。
しかし、です。
中学〜高校時代に私が熱狂した音楽は、椎名林檎、Cocco、鬼塚ちひろ、柳美里プロデュースの奥田美和子という「THE・黒歴史養成学校(特進クラス)」といったラインナップでした。
曲の中で彼ら・彼女らが描く人々は、愛しい相手を食して同化したがったり、恋した相手の屍を抱いて眠りたがったり、グレッチで殴られたいと望んでいました。ハードルが高い。高すぎる。
■全身全霊で飛び込む恋愛は「いのち すてます」になる
当時、私が大好きだった歌の歌詞を見ると「戦場に生きているのか?」「平成の東京はどれだけ修羅の国なのだ?」と疑問が沸く、死にたがりっぷりが満載だった。
私の腕はどうしてあの日 あなたを抱いて殺めなかった(Cocco『晴れすぎた空』)
新宿のカメラ屋さんの階段を降りた茶店は ジッポの油とクリーム あんたの台詞が香った 云ったでしょ?「俺を殺して」(椎名林檎『浴室』)
上記2曲はサビどころか、歌い出しでこのザマです。ティーンが本気で影響を受け、実行した瞬間に、少年刑務所・鑑別所へ一直線。しかし、これらはまぎれもなくラブソングです。
■強烈さがあればあるほど特別に違いないと思い込む女
破壊衝動がマシマシな曲の根幹メッセージは、「他などいらぬという強い意思」「唯一無二の相手への恋慕」です。自分以外の他者によって、強烈な感情を抱きたい! そのような恋愛をしてみたい! と、少女に強烈な憧れを抱かせるには十分すぎる破壊力を持っていました。
結果、少女時代の私は「“なんとなく”付き合う」という主体性のないものを恋愛と見なせぬ! という、メンドクサイこじらせ方をします。