モンゴルに自由と統一を!日本人と共に民族独立を目指した悲劇の英雄・バボージャブの戦い【六】 (2/6ページ)

Japaaan

これに対抗するべく、アルホア公はその側近であるシャオパエンパタ(小巴彦哈達)も他方面の軍司令官に任じられましたが、干渉されなければ、もはや気にしません。

かくして南モンゴルを解放するべく進撃したバボージャブ軍は、中華民国軍と交戦。大陸各地から寄せ集められた民国軍兵士に対して、勝手知ったる南モンゴルの原野を縦横無尽に駆け巡り、数々の勝利を収めたそうですが、ここで「待った」がかかります。

大モンゴル国(バボージャブら)による南モンゴル解放(進攻)とロシアからの圧力図。

民国二1913年11月、中露共同声明が発せられたことに伴い、ロシアが大モンゴル国に対して「中華民国領(=南モンゴル)から撤兵」するよう圧力をかけたのです。

実のところ、大モンゴル国はロシアの後ろ盾によってギリギリ独立を保って(と言うか、許されている)おり、ロシアに逆らおうものなら、たちまち滅ぼされてしまう状態でした。

要するに、偉大なるチンギス=ハーンの末裔である皇帝ボグド=ハーンは「ロシアの傀儡(かいらい。操り人形)」に過ぎず、大モンゴル国は大国ロシアと中華民国との緩衝地帯(クッション)に過ぎなかったのです。

この中露共同声明によって大モンゴル国に対するロシアの宗主権(=ロシア>モンゴルの主従関係)が正式に認められた以上、傀儡ボグド=ハーンは南モンゴル解放の手立てを失ってしまいました。

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