福岡県飯塚市筒野の権現谷にある五智如来板碑を調べてみた (3/6ページ)
大峯山(おおみねさん、現・奈良県吉野郡天川村)で修行した、小角の五大弟子のひとりとされる寿元(じゅげん、生没年不明)による、「唐の天台山(てんだいさん)から飛来し、最初に彦山に天下った」とされる、現在の和歌山県南部・三重県南部の熊野三山の神・熊野権現の勧請。中国・北魏の僧・善正(ぜんしょう、生没年不明)による6世紀の開基。そして善正に師事した日田の猟師・藤原恒雄(生没年不明、後の忍辱)によって発展したとするもの。また、819(弘仁10)年に豊前國宇佐(うさ)郡出身の僧・法蓮(ほうれん、生没年不明)が嵯峨天皇(786〜842)の命によって上洛し、七里四方(約30km圏内)の寺領を賜り、「日子山」を「彦山」に改めた…など。いずれにせよ彦山は、中国大陸との緊密な繋がりを持ちつつ、仏教伝来以前から、この地において聖なる山として尊崇を集めていたことが窺い知れる。
このような彦山だが、鎌倉時代末期から室町時代ぐらいにかけて、彦山修験道の儀礼、修験集団の組織が整えられ、3600坊を擁し、出羽三山(現・山形県鶴岡市)・吉野(現・奈良県)・熊野同様の大勢力を有したという。それに伴い、彦山から見て北西に当たる、五智如来板碑がある飯塚市の筒野を含む、現在の福岡県内のみならず、主に古くからの山陸の交通路を通じて、佐賀県・長崎県のみならず、九州圏外の山口県にまで広がっていった。
■五智如来板碑のある飯塚市筒野との関係性
また、筒野は2006(平成18)年に、明治から昭和のエネルギー革命以前まで、石炭産業で一時代を築いた「筑豊三都」の一角を占めた飯塚市に組み込まれたが、もともとは筑前國嘉麻(かま)郡に属していた。
『日本書紀』(720年)巻18の、安閑(あんかん)天皇(466?〜536?)2年(535)年の5月に、筑紫の穂波(ほなみ)や鎌(かま)に屯倉(みやけ。直轄地、またはそこで得られた収穫物などを貯蔵した倉庫のこと)を置いた、というのが、嘉麻郡の歴史上の初出だ。