元祖かかあ天下!飛鳥時代、絶体絶命の窮地を切り抜けた豪族の妻【上】 (1/4ページ)

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元祖かかあ天下!飛鳥時代、絶体絶命の窮地を切り抜けた豪族の妻【上】

人間、窮地に陥ると往々にして本性が出るもので、好調な時はいいのですが、ひとたび調子が悪くなると、たちまちグダグダになってしまいがちです(恥ずかしながら、筆者もその一人です)。

その一方で、どんな逆境においても決して諦めずに闘い抜き、成功を勝ち取る英雄も少なからずいるもので、今回は飛鳥時代の豪族・上毛野形名(かみつけぬの かたな)の妻を紹介したいと思います。

蝦夷討伐に出るも返り討ち、完全包囲の窮地に

上毛野一族は第10代・崇神天皇(すじんてんのう)の皇子である豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)を祖先にもち、その中には神功皇后(じんぐうこうごう)に従って日本海を渡り、新羅(しらぎ。朝鮮半島の古代王朝)征伐に武勇を顕した大荒田別命(おおあらだわけのみこと)らを輩出しています。

やがて子孫が上毛野の地(現:群馬県)に土着したことから名地(みょうじ。名字)を称するようになり、代々武勲の家柄に形名は生まれました。

さて、時は第34代・舒明(じょめい)天皇九637年。東国で蝦夷(えみし)が朝廷への服属を拒否。叛乱を起こしたので、形名は将軍を拝命して討伐に向かいます。

「帝に順(まつろ)わぬ不届き者どもめ……見ておれ、この形名が懲らしめてくれるわ!」

出陣前に英気を養う形名とお酌する妻。「あなた、どうぞご無事で」「なぁに、案ずるでない」

意気揚々と出陣した形名でしたが、結果は惨敗。戦闘に関する詳細が記録されていないため、どのくらいの軍勢がぶつかったのかは不明です。

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