体を売る芸者は江戸時代「蹴転」と呼ばれていた。”芸者は体を売らない”は建前だった? (2/3ページ)

Japaaan

その理由は、芸者というのはあくまでも「遊女の宴席の引き立て役」で、遊女のほうが格上という位置づけだったからです。

これは吉原では特に厳格でした。

芸者と遊女の仕事についても、これは適用されました。隠れて客を取った芸者には宴席に出ることを禁じたり、追放処分とするなどの厳しい制裁が加えられることがありました。

吉原では、芸者が遊郭の客に身体を売ることは「遊女の領分を侵すこと」であり、決して許されることではなかったのです。

誰とでも寝る芸者は「蹴転(けころ)」と呼ばれた

ただしこれは、あくまで「建前」の話。実際には、隠れて客を取る芸者は決して少なくありませんでした。

幕府公認の遊郭だった吉原はルールが厳しかったものの、それ以外の深川などの地域の町芸者は「お金を出せばすぐ『転ぶ(寝る)』」のが普通でした。

それどころか、芸者は建前では「客を取らない」として隠れて売春を行っていたことで、かえって吉原などの遊女とはできない「複数プレイ」などもできてしまったようです。

ちなみに、どんな相手とでもお金で寝る芸者は「蹴転(けころ)」「転び芸者」などと呼ばれることがありました。

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