なぜ江戸には2種類の時刻があったのか?江戸時代の時刻を知れば江戸がもっと楽しくなる【その3】 (2/5ページ)

Japaaan

そしてその子孫である辻源七という人物が、寛永3年(1626年)日本橋本石町3丁目に約200坪の土地を拝領し、鐘撞堂を建て鐘を撞いて時を知らせるようになりました。これが江戸で最初の「時の鐘」となったのです。

その後次のような川柳が詠まれることになります。
「石町は江戸を寝せたり起こしたり」

東都名所 日本橋真景并ニ魚市全図 画:歌川広重

東都名所 日本橋真景并ニ魚市全図 画:歌川広重

それまで町人たちは日が昇って明るくなれば起き出して働き、暗くなったら寝るというシンプルな生活をしていました。

それが日本橋本石町に鐘撞堂が出来て“時の鐘”が撞かれるようになると、江戸の人々に時刻という観念が定着していったのです。

その後、江戸の町中では9箇所の寺社で「時の鐘」を鳴らすようになりました。そして鐘の聞こえる範囲の町々からは「鐘役銭」という名目でお金を徴収し、維持費にしていました。

お金を支払うことにもなれば、町人も「時の鐘」を重要視したことでしょう。

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