卑弥呼のモデル?それともライバル?神功皇后に征伐された土蜘蛛の巫女王・田油津媛 (4/6ページ)
【意訳】丙申の時(日にち?)に神功皇后は山門縣にやって来て、土蜘蛛の田油津媛を退治した。
どういう理由で退治されてしまったのかは不明ですが、恐らくは叛乱を起こして鎮圧されたものと考えられます。
だとしたら、なぜ田油津媛は叛乱を起こしたのか?詳しい動機については記録がないものの、叛乱の前後状況を確かめることで、挙兵のキッカケくらいはつかめそうです。
仲哀天皇に攻められた熊襲への援軍として挙兵?それでは、叛乱を起こした田油津媛が神功皇后に討たれる少し前の歴史をざっと見てみましょう。
仲哀天皇八199年
9月 仲哀天皇が南九州の熊襲(くまそ)討伐に出陣するも、敗れる仲哀天皇九200年
2月 矢傷が元で仲哀天皇が崩御する
3月25日 熊襲を討った神功皇后によって、田油津媛が討たれる
仲哀天皇八199年9月、神憑りとなった神功皇后は、仲哀天皇(ちゅうあい てんのう)に「熊襲よりも先に、海を渡って新羅(しらぎ。朝鮮半島の古代王朝)を攻めよ」と神託を授けます。
しかし、仲哀天皇はせっかくのご神託を聞かず「まずは手近な方を」とばかり熊襲を攻めます。この時、九州北部を支配していた田油津媛は、南方の熊襲に援軍として挙兵したのかも知れません。