卑弥呼のモデル?それともライバル?神功皇后に征伐された土蜘蛛の巫女王・田油津媛 (5/6ページ)

志半ばにして崩御(陣没)された仲哀天皇。Wikipediaより。
そして神意に背く者に勝利はなく、仲哀天皇は戦さで矢を受けて敗走。そのまま寝込んでしまい、翌年2月に陣中で崩御してしまいました。
「ヤマト政権、恐るに足らぬ!者ども、一気に撃ち滅ぼせ!」
熊襲の士気が上がったであろうことはもちろん、援軍の田油津媛たちも、得意?の呪術を駆使して一気にヤマト軍を惑わそうと張り切ったことでしょう。
しかし、仲哀天皇に代わって指揮を執った神功皇后は、瞬く間に熊襲を討ち滅ぼし、また田油津媛の呪術をも打ち破ってしまいます。
呪術を破られてしまった田油津媛はあえなく討ち取られ、援軍として向かっていた彼女の兄・夏羽は「妹が敵わぬ相手では太刀打ちできぬ」とばかり逃げ去ってしまったそうです。
かくして熊襲を討ち平らげ、九州地方を平定した神功皇后は日本の全国制覇を果たし、やがて海を渡って三韓(朝鮮半島の三王朝)征伐に乗り出すのですが、それはまた別の話。
「誑(たぶら)かしの姫」と呼ばれ……以上、田油津媛の叛乱について紹介してきました。ところで田油津媛という名前は、本人が名乗ったり、臣下たちが呼んだりした訳ではなく、ヤマト政権による蔑称と考えられています。