踏みにじられた貞操…戊辰戦争で活躍するも、敵の手に落ちた神保雪子の悲劇【上】 (1/4ページ)

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踏みにじられた貞操…戊辰戦争で活躍するも、敵の手に落ちた神保雪子の悲劇【上】

会津(あいづ)藩と言えば、幕末の戊辰戦争における最大級の激戦地として知られ、旧幕府軍・新政府軍ともに甚大な犠牲を払いました。

こと不退転の覚悟で臨んだ会津藩では、女性や子供、高齢者に至るまで志願したため、白虎隊(びゃっこたい)の少年たちや娘子隊(じょうしたい)の婦人たちなど、多くの悲劇が生み出されています。

今回はそんな娘子隊の一員として活躍するも、悲劇的な末路をたどった神保雪子(じんぼ ゆきこ)のエピソードを紹介したいと思います。

美男美女のおしどり夫婦、儚くも幸せだった日々

雪子は江戸時代末期の弘化二1845年、会津藩士・井上丘隅(いのうえ おかずみ)の次女として誕生。井上家は600石の家禄をとる名門(※会津藩内に600石以上の家禄をとる家は34家しかなかった)で、丘隅は大組物頭を務めるトップクラスの重臣でした。

幼いころより姉・ちか子ともども美人として評判が高く、文久二1862年ごろ、会津藩内でも将来を嘱望されていた若手のホープ・神保修理長輝(じんぼ しゅり ながてる)に嫁ぎます。

神保修理との婚礼(イメージ)。

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