踏みにじられた貞操…戊辰戦争で活躍するも、敵の手に落ちた神保雪子の悲劇【上】 (3/4ページ)
「父(井上丘隅も京都へ随行)のことも、よろしくお頼み申し上げます」
「大丈夫。きっと一緒に、無事帰って来るよ」
修理はそう言って、雪子の頬を優しくなでましたが、これが今生の別れになろうとは思っていなかった事でしょう。
京都で君命に奔走した修理、長崎で世界に開眼するも……さて、国許で夫と父の身を案じる雪子を想いながら、修理は君命を奉じて国家のために奔走します。
京都の洛中洛外を視察して治安維持に努め、朝廷との折衝に当たるなど、多忙な日々を送る中で、やがて会津藩お預かりとなった壬生浪士組(みぶ ろうしぐみ。後の新選組)とも連携・交流したようです。
元治元1864年7月19日「禁門の変(長州藩によるクーデター)」では義父や父と共に天王山に立て籠もった真木和泉守保臣(まき いずみのかみ やすおみ)らを討伐。薩摩藩の支援もあって、長州藩の撃退に成功しました。
禁門の変にて御所を守り、陣頭指揮を執った松平容保(会津公)。
実戦を経験したことで、容保は軍制を近代化する必要を実感。