踏みにじられた貞操…戊辰戦争で活躍するも、敵の手に落ちた神保雪子の悲劇【上】 (2/4ページ)
修理は天保五1834年、会津藩の家老・神保内蔵助利孝(くらのすけ としたか)の長男として誕生。幼少時から文武に長けた秀才と謳われ、雪子とは11歳差(雪子18歳、修理29歳)ではありましたが、閑雅な趣を湛えた端整な容貌で、雪子に引けをとらない美男子でした。
互いに申し分のない相手となれば、仲が睦まじいのも自然な運び。誰もが羨む鴛鴦(おしどり)夫婦だったそうですが、世は風雲急を告げる幕末とあって、ずっとイチャイチャばかりもしていられないのが世の定め。
文久二1862年8月、会津藩主・松平容保(まつだいら かたもり)が京都守護職を命じられると、その赴任に随行することになりました。
「近ごろ、京の都は不逞浪士が跋扈して、物騒と聞き及んでおりますれば、どうかご無事でお役目を果たして下さいまし」
現代なら「そんな危険な仕事、断ってよ!あなたに何かあったら、私の生活はどうなるのっ!」などと大反対の奥方も多いかも知れませんが、武家の女性たちはどれほど内心で心配していようと、夫や父、兄弟たちが武士としての務めを果たすことをこそ尊重しました。
「……あぁ、行って来るよ」
顔で笑って心で泣いて……そんな女性たちの本音を察しているからこそ、武士たちはますます愛情を深め、より一層務めに精進するのでした。