「狂人」といわれた男。徳川3代将軍・家光の実弟「徳川忠長」28年の生涯【その1】 (1/2ページ)

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「狂人」といわれた男。徳川3代将軍・家光の実弟「徳川忠長」28年の生涯【その1】

神君家康の孫、徳川2代将軍秀忠の息子として一時は将軍後継の最有力とまで目された「徳川忠長」。生まれながらに一流の血筋と絶大な権力を合わせ持ちながら、28年という短い生涯は自刃という形で幕を閉じた。忠長には生前多くの逸話が残っている。

徳川忠長像(Wikipediaより)

今回は「駿河大納言・徳川忠長」の生涯をご紹介する。

出生と将軍後継争い

忠長は1606年、江戸城西の丸に生まれる。幼名は「国千代」。母親は2代将軍秀忠の正室「江(ごう)」。秀忠と江の間には2年前に嫡男である「家光」が生まれていたが、家光は生来病弱であり吃音が認められたため、秀忠と江は弟の忠長を寵愛していたといわれている。

幼少期の忠長は聡明で容姿端麗だったとされ、両親は将軍の後継にと意識していた可能性も否定できない。江が弟の忠長を溺愛した理由には、家光の乳母であった「春日局(かすがのつぼね)」との軋轢にあったと考えられている。2人の対立関係がそのまま家光と忠長の将軍後継争いに発展したという説もある。

将軍後継争いを巡っては、春日局が駿河にいる家康の元へ家光の将軍後継の承諾を得に赴いたという逸話が残っているが、それを裏付ける証拠はなく創作の域を出ない。

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