悪しき因習「村八分」その内訳と、維持しなければならない残りの”二分”って何? (2/3ページ)
いくら仲が悪いからと言って、火事を放っておけばどんどん燃え広がって被害が拡大してしまうリスクがありますし、どんなに憎たらしい人間でも、その死体を放置しておけば腐敗が進んで悪臭はもちろん、疫病が発生・蔓延する原因となってしまうからです。
それ以外「手を貸さなくても、事態を放置しても自分たちに被害が及ばない」ほとんどの事柄については、村ぐるみで協力を拒否するのが村八分となります。
江戸時代に生まれた(比較的)新しい言葉ちなみに、この村八分という言葉は江戸時代に生まれたらしく、江戸時代の作家・曲亭馬琴(きょくてい ばきん)は『随筆 兎園小説別集』で「八分するorされる」という言葉について、このように言及しています。
「この俗語、ふるくは聞えず。寛政のはじめより、やうやく耳にふれしを、今は鄙俗の常談となれり」
八分する、八分されるという俗語は寛政年間(西暦1789~1801年)ごろから使われ始め、十数年以上が経った文政年間(西暦1818~1831年)になって定着したそうで、当時としては一種の流行語として見られていたようです。