戦国時代、日本の地で剣術を修めた外国出身の武士「李家元宥」のエピソード【上】 (2/4ページ)

Japaaan

「此度はどうにか追い払えたが、このままでは終わらんじゃろうな……」

妻と幼い聖賢を抱え、その身を案ずる一方で、福男は心中「次こそは赫々たる武勲を」と誓いながらその時を待ち、やがて日李(日本・李氏朝鮮)の講和交渉が決裂した宣祖三十1597年。14万余の軍勢を従えて、再び日本軍が攻めて来ました。

決死の覚悟で敵中突破!いざ南原城へ

「来たぞ!」

海上防衛線を突破された李氏朝鮮軍は、各地で必死の抗戦を繰り広げます。全羅兵馬節度使(陸軍の高級武官)に昇任していた福男は、明の楊元(よう げん)らが兵3,000で守備している南原(ナムウォン。現:全羅北道)城への援軍に向かいます。

しかし、先の戦闘で日本軍の恐ろしさを知っていた兵士たちは向かう道中に次々と逃亡、南原城へ近づいた頃には、50名しか残っていない有様。その一方で、50,000を超える日本の軍勢は既に南原城を包囲していました。

南原城を包囲する日本の軍勢(イメージ)。

「……このままでは、入城はおろか近づく事さえ出来ぬ……」

城内では楊元ら3,000の明軍をはじめ、既に到着していた李氏朝鮮の援軍約1,000が決死の覚悟を固めていることでしょう。

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