真夏の「キャンギャル」55年ヒストリー<小野みゆき>「ナツコの夏」に抜擢され2カ月半の海外ロケ (1/2ページ)
燃えろ、いい女! 燃えろ、ナツコー! 世良公則のシャウトがインパクトを放った79年の資生堂化粧品「ナツコ」のキャンペーン。小野みゆき(60)が、ユーモアたっぷりにナツコ秘話を振り返る。
「高校卒業直後が分岐点ですね。骨折して入院していたら、オーディションが最終選考まで終わっていたんです」
ならば、どうやってキャンギャルになったのか。
「事務所にたまたま資生堂の方がいらして、スタッフが私の写真を見せたら『オーディションはもう最終段階だけど、カメラテストに参加しなよ』と誘われ、途中参戦したんです」
ファッションに無頓着だった小野は、なんと「スクール水着」で挑んだ。
「周りは、すてきなハイレグ水着の細くてキレイなお姉さんばかり。一方の私は部活をやめて太り、入院中も差し入れ太りし、10キロ増量したうえでのスクール水着なので、その姿は女子プロレスラーそのもの。スタジオ入りした瞬間、スタッフたちがサーーッと凍りついたのがわかりました」
だが、それが功を奏した。ナツコのテーマは「自立した強い女性像」で、小野が持つ「静かな情熱を秘めた凛としたオーラ」こそ、必要とされていたのだ。
情報解禁に厳しい広告業界ゆえ、小野は家族にも選ばれたことを伝えられず、海外への長期ロケに飛んだ。
「なかなか撮り終えることができず、帰国は当初の予定から大幅に遅れた2カ月半後。親族女性と2人で住んでいたアパートに帰ると、部屋がなくなっていました」
親族は「みゆきちゃんが帰ってこない! 不良になっちゃったよ!」と確信し、アパートの部屋を解約してしまったという。小野はスーツケース片手に途方に暮れた。
さて、当時は化粧品会社のPR合戦が激化していた。
「私は知名度も人気もないけれど、『女性の自立』という新たな価値観が若い女性たちに刺さり、ナツコは資生堂で初めて品切れするほど売れたようです」
比例して小野の知名度も急上昇。それに困惑したのが、瓜二つの双子の弟だった。
「弟の格好はダサいんですが、いわゆるイケメンで。街中で『あ、ナツコだ! あれ? 男? えっ、なんで!?』と混乱を招きつつ指をさされまくり。