真夏の「キャンギャル」55年ヒストリー<思い出のヒロイン>山岸舞彩は芸能会引退後は書家に (2/3ページ)

アサ芸プラス

 のちにイエローキャブを率いて巨乳王国を築いた野田義治氏は、烏丸の「裸の胸にレイをかけたポスターこそが、グラビア写真としての最高峰」だと称賛している。一時は休業が続いたが、女優復帰後は朝ドラ「スカーレット」(19~20年)などで個性的な演技を見せている。

〈ガールフレンドとオイルは、いつも新鮮なのがいい〉

 こんなキャッチコピーを添えられたのは、79年に共同石油のイメージガールに選ばれた沢田和美(57)だった。同年の旭化成のキャンギャルも兼務するなど、売れっ子モデルに君臨。

 さらに163センチ、B86・W63・H88の肉感的な肢体はスクリーンでも重宝され、日活ロマンポルノでも主演を張った。95年のヘアヌード写真集を最後に引退したが、まだカムバックには十分な年齢だろう。

 昭和最後の年である88年のクラリオンガールに選ばれたのは、今や立憲民主党の顔である蓮舫(52)だ。ともにレギュラー司会を務めたビートたけしが「クラリオン史上、最も貧乳」と揶揄したのも有名な話である。

 逆にプロポーションを補うためにトーク力を高め、やがて国会議員としての活動につながっていったのはご承知のとおりだ。

 97年に大磯ロングビーチの広告塔を務めたのは、当時イエローキャブの一員だった山田まりや(40)である。同事務所にしてはCカップとさほど巨乳ではなかったものの、明るい性格と抜群のトーク力で売れっ子タレントに成長する。

 山田は「売れたら水着だけでなく服を着させてもらえる事務所」の名言を残したが、現在は子育てと並行して、舞台を中心に活躍を続けている。

 99年にアサヒビールのイメージガールに選ばれた伊東美咲(43)は、ドラマ・映画・CMと幅広く活躍。だが、それから10年後の09年、大手パチンコメーカー「京楽」の榎本善紀氏と結婚し、1男2女の母に。

 実は引退したわけではなく、何度となく活動再開をアナウンスしたが、今なお子育てに追われて復帰はできていない。

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