戦国時代、加藤清正を追い詰めた男装の女武者・お京の方の武勇伝【三】 (4/5ページ)
(※現代人なら「逃げ帰ればいい」と考えるかも知れませんが、それでたとえ命は助かっても、卑怯未練の振る舞いは前科のように一生涯ついて回り、武士としては死んだも同じことでした)
「……どうか、ご武運を」
「うむ。必ずや、第一等の武功を立てて見せよう」
死ぬも生きるも天が決める。自分に出来るのは、ただ戦うのみ。見送る家族に振り返ることなく、正親は五百の兵を率いて出陣していきました。
大将同士の一騎打ち!正親、加藤清正を組み伏せる「……まさか、あれほどの大軍とは……」
さて、志岐豊前守の援軍に駆けつけた正親ですが、迫りくる小西行長の軍勢を前に恐れをなした豊前守は、叛乱の首謀者でありながら早々に撤退してしまいました。
(その程度の覚悟なら、最初から兵など挙げねばよいものを……)
大いに落胆した正親でしたが、いくら総大将が逃げ出したからと言って、自分までそれに追従してしまったら、上方の連中に「肥後にはろくな武士がおらぬ」と物笑いの種とされてしまうでしょう。