戦国時代、加藤清正を追い詰めた男装の女武者・お京の方の武勇伝【三】 (2/5ページ)
豪勇で知られた小西摂津守行長。成政の教訓は活かせるか(イメージ)。
「さて、今度の『お殿様』は大丈夫じゃろうか……」
さすがに前回の教訓もあって成政ほど性急な施策はなかったものの、何もかも肥後流のままでは統治もやりづらい……という事で、行長は次第に豊臣色を強めていき、正親たちも従わざるを得ません。
そんな中、行長の本拠地となる宇土城(うと。現:熊本県宇土市)の普請に際して、負担が重すぎると協力を拒む者が現れました。
「重い年貢のみならず、城普請まで……いい加減にしろ!」
かくして天正十七1589年、志岐豊前守鎮経(しき ぶぜんのかみ しげつね)が叛乱の兵を興すと、天草五人衆(あまくさごにんしゅう)と呼ばれる天草地域の国人衆も呼応。後世に伝わる「天正天草合戦(てんしょうあまくさがっせん。天草国衆一揆)」の始まりです。