「スパイ容疑で追放」シーボルトに「間宮林蔵のリーク説」が急浮上! (2/3ページ)

日刊大衆

 通説によれば、シーボルトが乗船することになっていたコルネリス・ハウトマン号が当時、日本の西南部を襲った台風(シーボルト台風)により、長崎港内の稲佐海岸に乗り上げて座礁。臨検の結果、彼が積み込んだ禁制品の日本地図などが見つかり、スパイ活動が露見したとされる。

 だが、この「オランダ船積み荷発覚説」は、シーボルト記念館(長崎市鳴滝)発行の研究報告『鳴滝紀要』(1996年)に掲載された梶輝行浜薬科大学教授の論文により、現在は否定されている。実際、船に積み込まれていたのは船体の安定を保つためのバラスト用の銅五〇〇ピコルだけだったという。

 それではなぜ、シーボルトのスパイ活動が露見したのか。

 長崎学研究所(長崎市)は昨年一一月、県内にある古書店を通じて新たな史料を購入。これは文政一一年(1828)一一月二九日、呉服商である三井越後屋の長崎代理店だった中野用助が、江戸の本店に送った事件の報告書を書き写したものだ。

 和紙三枚の両面に、長崎における取調べの様子や押収品一覧などが書き連ねられ、主に次のようなことが分かる。(1)シーボルトに日本地図などが秘かに受け渡されたことが江戸で露見し、高速の飛脚便で長崎に通報した。(2)一一月九日に書状が届き、長崎奉行所が出島でシーボルトを取り調べ、さまざまな禁制品が見つかった。

 従来はオランダ商館長の日記によって、事件が江戸で露見したと伝えられていたが、日本側の史料で裏付けられた形だ。

 さらに新史料には「長崎入口図 壱巻」「古銭 七包」「琉球国地図 壱枚」などの押収品一覧も詳細に記録され、「紅毛方(オランダ)にはかかわり申さず」という一文もあり、事件が日蘭貿易に影響を及ぼさないことも書き添えられている。

 むろん、これですべての謎が解けたわけではなく、翻訳家である秦新二氏の著書『文政十一年のスパイ合戦』(文藝春秋刊)にも注目したい。

■禁制品と知りながらもスパイの自覚が欠如!?

 同書は事件の一方の当事者となった幕府天文方・書物奉行の高橋作左衛門景保とシーボルトの手紙を正確に翻訳しており、緊迫した二人のやりとりが伝わる。

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