マ?鎌倉時代にも使われていた一文字略語がTwitterで話題に! (2/3ページ)
帝(後嵯峨天皇)が女房から返って来た手紙を広げてみると、「この暮れに必ず(来てね)」と書いた部分の下に「を」と一文字が墨で黒々と書かれてあったそうです。
この「を」とは「YES」を意味する略語なのだそうで、その後、女房は返事通り帝の元へちゃんとやって来たそうです(やって来た女房と帝が何をしたかは、ご想像にお任せします)。
ちなみに男性の場合は「よ」の一文字が「YES」を意味するとの事ですが、逆に「NO」だった場合はなんて書いていたのか(あるいは、そんな選択肢はあり得なかったのか)気になります。
畏れ多くも帝に対する通信ですから「めんどくさくて略した」のではなく「なるべく人に知られたくない」ための符丁・暗号の類だったのでしょう。
『鳴門中将物語』についても紹介補足ながら『鳴門中将物語』について解説すると、鎌倉時代に成立した短編物語で、作者は不詳。作中の和歌より「なよ竹物語」とも呼ばれることもあります。
今は昔、後嵯峨天皇(第88代。在位:仁治三1242年~寛元四1246年)に見初められたとある少将の妻(なよ竹の君)は、機転によって夫の中将昇進を実現しました。