天下一の傾奇者?それともただのうつけ者?信長の甥・織田頼長の武勇伝【上】 (2/4ページ)
後の織田長孝)は側室の子なので家督の継承権は嫡男である孫十郎にあり、このまま行けば将来は父の跡を継いで大名となり、それなりに順調な未来が見えていました。
しかし、そんな「敷かれたレールの上を走る人生」なんてつまらない。ましてや周囲の者たちから「伯父の七光り」などと陰口を叩かれては癪に障るというもの。
「よし……天下一の傾奇者(かぶきもの)に、俺はなる!」
傾奇者とは奇抜な衣装や反秩序的な振る舞い(奇にかぶくこと)を好む若者たちを指す言葉で、後に歌舞伎(かぶき)の語源ともなりました。
今も昔も、斜に構えた若者たちが極端な自己表現に情熱を迸らせるのは変わらないようで、現代ならヤンキーやギャル、中二病などがそれに該当するのでしょうか。
話を戻して、「天下一の傾奇者になる!」と決めた孫十郎は若き日の信長さながらの傾きっぷりを見せ、『当代記(とうだいき)』では「かぶき手の第一」と評されました。
しかし、周囲の者たちは口先でこそ褒めそやしながら、内心「形ばかり信長公の真似をして、このうつけ者が……」などと軽蔑していたのかも知れません。