天下一の傾奇者?それともただのうつけ者?信長の甥・織田頼長の武勇伝【上】 (4/4ページ)

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「何で留守番なんだよ!俺に『無双』させろよ!」

そんな不満が聞こえて来そうですが、父としては大事な嫡男をなるべく危険な戦場に出させたくなかったのでしょう。

ちなみに、庶兄の源二郎は父と共に出陣。徳川家康率いる東軍に与して猛将・戸田武蔵守重政(とだ むさしのかみ しげまさ)父子を討ち取る大手柄を上げています。

※関ヶ原で活躍した庶兄・源二郎のエピソードはこちら

家督が継げなきゃ自力で家を興す!関ヶ原で活躍した信長の甥・織田長孝の武勇伝【上】

家督が継げなきゃ自力で家を興す!関ヶ原で活躍した信長の甥・織田長孝の武勇伝【下】

関ヶ原の戦功によって父は3万石(味舌藩)、源二郎は父と別に1万石(野村藩)の所領を与えられ、それぞれ大名となりました。

「ちぇっ、何だよ……俺だって出陣さえしていれば……」

活躍できたかも知れないチャンスを逃してしまった孫十郎は、源二郎への対抗心(逆恨み)から反・徳川の意思を固めていくのでした。

【続く】

※参考文献:
桑田忠親『太閤家臣団』新人物往来社、1971年1月
戦国人名辞典編集委員会 編『戦国人名辞典』吉川弘文館、2005年12月
家臣人名事典編纂委員会 編『三百藩家臣人名事典』新人物往来社、1987年11月

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