天下一の傾奇者?それともただのうつけ者?信長の甥・織田頼長の武勇伝【上】 (1/4ページ)

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天下一の傾奇者?それともただのうつけ者?信長の甥・織田頼長の武勇伝【上】

「タロウ君の伯父さん、有名人で羨ましいなぁ」

子供のころ、こんな会話があったりなかったりしましたが、身内にいわゆる著名人がいると誇らしく思う一方で、プレッシャーを感じる方も少なくないようです。

ましてやその著名人が伝説的なカリスマだったり、絶対的な権力者だったりすると、どうしても比べられ、見劣りしてしまいがち。

「伯父さんはあんなに凄いのに、タロウ君と来たら……」

本人が一生懸命に努力して結果を上げても「どうせ七光りでしょ……」なんて色眼鏡で見られてしまっては、せっかくのやる気も損なわれてしまうでしょう。

今回は戦国時代の伝説的カリスマ・織田信長(のぶなが)を伯父に持った織田頼長(おだ よりなが)のエピソードを紹介したいと思います。

天下一の傾奇者に、俺はなる!

織田頼長が誕生したのは信長が「本能寺の変」に斃れた天正十1582年。通称は孫十郎(まごじゅうろう)と言いました。

正伝永源院蔵「織田長益肖像」元和七1622年

父は信長の弟・織田長益(ながます。有楽斎)、母は正室お清の方(雲仙院殿)。彼女は若き日の信長(吉法師)を諫めて自害した平手政秀(ひらて まさひで)の娘です。

兄の源二郎(げんじろう。

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