ホントに来たの?北鎌倉に遺されている陰陽師・安倍晴明ゆかりの史跡を紹介 (2/3ページ)
※当時は交通網が発達しておらず(移動手段は牛馬か人力)、また治安も悪かったため、決して現代のように気軽な行き来はできませんでした。
では、なぜこの地と安倍晴明が結びついたかと言えば、鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡(あづまかがみ)』に
「鎌倉入りした源頼朝(みなもとの よりとも)公は、山ノ内にあった首藤兼道(すどうの かねみち)邸を移築して仮住まいとした。
この家は正暦年間(990~995年)に建てられたものだが、安倍晴明の護符(ごふ。お守り)が貼ってあったため、200年弱にわたりずっと火災を免れていた(要約)」
という旨の記述があり、安倍晴明本人が滞在していたというよりも、恐らくこの地に土着していた首藤一族の誰かが京都で安倍晴明から護符を授かり、それを大切に祀っていたのでしょう。
探してみよう!安倍晴明ゆかりの史跡たちまた、近くの八雲神社(やぐもじんじゃ)には安倍晴明が厄除け(あるいは雨乞い)のために置いたとされる「清明石(せいめいいし。厄除石、雨乞石)」が祀られています。