バイキングの傭兵地区がイスタンブールの近くで発見される(トルコ) (3/4ページ)
この部隊は、軍の精鋭として皇帝の身辺警護をした。
親衛隊には、スカンディナヴィア出身のノルウェー人も含まれ、その後100年以上にわたって、主要な母体を確立した。
のちにノルウェー王となったハーラル三世はもっともよく知られた人物だろう。バイキングの傭兵がルーン文字で書いたとされるメッセージが、聖堂ハギア・ソフィアで見つかっていて、"ハーフダンがこれらのルーン文字を刻んだ"、あるいは"ハーフダン、ここにあり"と読める。
バイキングは11世紀までヴァリャーギ親衛隊として仕えたが、イングランドでのノルマン人の支配から逃れてきたアングロサクソンの亡命者たちにとって替わられた。
イスタンブールにあるハギア・ソフィアの2階の床に刻まれた、バイキングの傭兵によるものとされるルーン文字。image credit:public domain/wikimedia
・ビザンティン帝国はバイキングの傭兵を信用してはいなかった
バイキングは傭兵として優秀だったが、完全に信用されていたわけではなく、代々の皇帝から怖れられていた。
傭兵たちは、コンスタンティノープルの町の中には住めなかった。任務が終わると毎晩コンスタンティノープルを出なくてはならず、入るときも限られた人数しか許されなかったのは、皇帝が傭兵たちに町を乗っ取られるのを怖れたためだ。
とはいえ、呼び出せばすぐに駆けつけることができるくらい近い位置ということで、当時の国際港だったバトネアが、バイキングたちの定住地となったのだ。