歴史を変えた戦国めし!「本能寺の変」の動機は「鮒ずし」のしくじり事件!? (2/2ページ)
僕も滋賀に帰ったら、近所のおじさんが漬けた鮒ずしを土産にしています。酒好きな人は初めてでも、うまいじゃんって喜んでくれるんですが、酒を飲まない人は信長と同じで、抵抗があるみたいです」
信長が鮒ずしを気に入らなかったのも、下戸説の証拠になる話である。
健康オタクだったといわれ、当時の武将としては75歳と長寿だった徳川家康は、鯛の天ぷらが好きだったと伝わる。たびたび食べては食あたりを起こしているにもかかわらず、最期も鯛の天ぷらを食べて体調を崩して亡くなっている。
「家康は質素・倹約がモットーのいわゆるけちんぼでしたから、晩年になって急に食べつけないうまいものを食べたのがいけなかったんでしょうね。天ぷらといっても、今みたいに衣をいっぱいつけたのじゃなくて、素揚げに近いものだったみたいですね」(桐畑氏)
一方の河合氏は、
「直接の体調不良の原因は鯛の天ぷらだったとしても、その後も数カ月間回復せず、結局没しています。その症状からいって胃ガンだったのではないかと思われます。晩年にこうした油っこいものが好きになって、グルメになっていたのかもしれません。その一例として、蝦夷の松前藩には、オットセイを注文して献上させたりしています」
オットセイの“生殖部位”などは精力剤として珍重されたが、家康は晩年になって10代の若い側室を次々に迎えていたから、夜の生活のための精力剤が必要だったのだろう。
のちに、二桁の側室に50人以上の子供を産ませた徳川11代将軍・家斉なども、オットセイの“男性シンボル”を精力剤として愛用、「オットセイ将軍」と呼ばれたが、そのルーツは家康だったのだ。
河合敦(かわい・あつし)1965年、東京都生まれ。早稲田大学大学院博士課程単位取得満期退学(日本史専攻)。多摩大学客員教授。早稲田大学非常勤講師。歴史作家・歴史研究家として数多くの著作を刊行。テレビ出演も多数。主な著書:『早わかり日本史』(日本実業出版社)、『大久保利通』(小社)、『繰り返す日本史 二千年を貫く五つの法則』(青春新書)など。
桐畑トール(きりはた・とーる)1972年、滋賀県生まれ。滋賀県立伊香高校卒業後、上京しお笑い芸人に。2005年、オフィス北野に移籍し、相方の無法松とお笑いコンビ「ほたるゲンジ」を結成。戦国マニアの芸人による戦国ライブなどを行う。「伊集院光とらじおと」(TBSラジオ)のリポーターとしてレギュラー出演中。現在、TAP(元オフィス北野)を退社しフリー。